夏休みワークショップ
もの創りアートキャンプ
  
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001 子供の頃
002 場をつくる 
003 エピソード1
 


1999年、大晦日。

当時、僕は大学4年で彫刻を専攻していた。
冬休みに制作に来ていた学生たちが、極寒の石彫場でコークス
を焚き、ミレニアム越えの宴会をしていた。
実のところ、大学の学生同士との付き合いが苦手な僕だったが、
まぁ1000年に1度の年越しだし‥と、なんとなくその宴会は
楽しかったように憶えている。但しアルコールは一滴も飲まな
かった(と思う。)

2000年は富士山麓で迎えよう。
「熱海ビエンナーレ」で知り合ったメンバー数名と、そんな話
しをしていた。
大学の宴会は早々に切り上げ、白菜を2個積んで中央道で鳴沢
村へ向かった。

世の中は世紀のミレニアム越えに、少し浮き足立っていたように思う。
2000年問題も連日報道され、憂慮感を煽られているかのようだった。
どうせ来年末は21世紀で囃し立てるんだろ? 疲れちゃうよ。

鳴沢の森に到着したのは23時頃だっただろうか。相当な寒さを
覚悟していたが、焚き火で暖をとり、思いのほか暖かかった。
白菜を切り、キムチ鍋を作った。
カウントダウンも何も無く、パチリパチリと燃える薪の音の中、

静かに2000年を迎えた‥


2000年、元旦。

何の変哲もない朝。そういえば2000年問題はどうなったんだろ
う。ここでの問題と言ったら、Mさんの携帯電話が落ち葉の上
で凍っていたことと、バンパーが壊れたことくらい。至って平
凡な出来事。

僕らは「場」を探していた。2000年、富士山。何かやりたい。
地元の知り合いに新年の挨拶がてら相談すると、ある場所を紹
介された。

樹海を掻き分けるような一本道を抜けると‥富士ヶ嶺へ辿り着いた。


2005年、夏

あの時何かが動き出した。一晩中話した内容もあまり憶えては
いない。衝動なのか確信なのか、それもいまだにあやふやだけど。
でも、あの日焚き付けた火種は、焼べればいつでも燃え上がる
ように、今日も燻り続けている。燃え盛らせる結果を焦るより
も、いかに消さずに継続させるか、そこを大事にしていた。(2005/8 柴田)


 

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